おらが街のバンド、ハウンド・ドッグはダサかった。
1985年、私は宮城県仙台市の中学2年生だった。 中2で同じクラスになった友達(A君とする)には年の離れた兄が何人かいて、兄経由の情報の分、彼は大人っぽかった。 洋楽を聞いたりするようになったのも彼の影響だった。
A君の家には大きめの物置のような離れがあって、そこにはドラムセットがあって、フォークギターがあって、簡単ながら防音してあった。 そこに集まるようになった何人かの友人達でバンドをやろう、ということで盛り上がった。
本来の流れから言えば家にドラムがあるわけだから、A君がドラムをやるのが筋という感じがするけれど、私と同じくA君の家に入り浸るようになったE君はやったことがないくせにドラムが上手かった。簡単に言うと、ドラムの才能があった。
私はギターがやりたい、といってギターの座を確保した。ギターが一番モテる気がしたから。
こうなると普通はA君はベース、ということになりそうだけど、楽器についても良くわかっていないから、なぜかキーボードになった。
そして当時サッカー部で期待のディフェンダーだったO君を誘って、ベースにした。
O君は新聞配達で溜めたお金でヤマハのベースを買った。当時C-C-Bのベースの人が使っていたモデルの廉価版だ。
で、バンドではハウンド・ドッグをやることになった。
ハウンドドッグをバンドでやることになった理由
当時、バンドを始めるということになったら誰をコピーするのが普通だったんだろう?
ザ・ブルーハーツは1987年で出現まであと2年程待たなくてはならなかった。 BOØWYは既にデビューしていたけれど、大ヒットした「BEAT EMOTION」は1986年で1985年にラジオで聞いた「Just a hero」はなんかパッとしないと思った。
いまみたいにYoutubeがあるわけではないので、リアルタイムに聞こえてくる音楽がそのままやりたい音楽になっていたころなんじゃないか…
そう考えると映像も含めて一番目にした、耳にしたバンドというと実はアルフィーなんじゃないか、と思ったりするが、アルフィーはメンバーにドラムがいないのでバンドっぽくなかった。
どこでハウンド・ドッグになったのかというと、その頃仙台では土曜日の朝に「ミュージックトマトジャパン」というMVを流すKTVかなんかの音楽番組をTVでやっていて、そこでハウンドドッグのMVが流れていたことが大きかった。
曲は「Knock Me Tonight」という曲で、シンセのイントロが印象的な曲だった。
今思えばブルース・スプリングスティーンの「Born To Run」のパクリだけど、Born To Runは1973年の曲で元ネタがわかっていない中学2年生には新鮮でカッコいい曲に思えた。
いま、35年ぶりくらいにPVを見てみたけど、相当ダサい映像だった。
パステルカラーの衣装、安いセット丸出しの映像で恰好をつける、今はおもしろ発声おじさんとなった大友康平はたしか29歳くらい。
ハワイでロケしたとは思えない映像だ。
要するに、この曲がハウンド・ドッグをコピーしよう、と仙台の中2に思わせた。
恥ずかしい曲が満載…いい大人がこれかよ
ハウンドドッグは仙台にある私立大学、東北学院大学の軽音サークル出身というのも仙台の中2にとってはおらが街のバンド、っていう感じでくすぐられたっていうのもあるだろう。
ハウンド・ドッグはこの曲や愛がすべてさ、で有名な「ff」が収録された1985年のアルバム「SPIRITS」からメンバーチェンジをしていて、ギタリストとして加入した西山毅は後にギター侍として活躍することになるけれど、コンサートツアーのパンフでゲイリームーアが好きで歌ものには興味がなかった、といっていることを考えると当時どんな気持ちでハウンド・ドッグでギターを弾いていたのかな、と思ってしまう。
そんな西山毅の超絶ギタープレイは「Bad Boy Blues」という曲で聴くことができるけれど、それにしてもダサいタイトルの曲だ。
でも当時のマンガ、『あいつとララバイ』の1シーンを見るとダサくはなかったのかもしれない。あるいは両方ともダサかったのかもしれない。
ハウンドドッグの何が恥ずかしいかは、今その曲を聴いてみればわかる。
アレンジ丸パクりの曲が多いのだ。
パクリが悪いっていうわけではない。
ハウンドドッグと同時期の佐野元春もスタイルカウンシルをコンセプトごとパクったようなアルバムを作っているし。
でも、佐野元春はオマージュというか、憧れから来ているのがわかる。だから、今聴いても若気の至りは感じてもそこまで恥ずかしくない。
でも、ハウンド・ドッグの場合はかなり恥ずかしい。
それはヒットさせよう、と節操なくパクったからだと思う。
そのくせ、大友康平はロックンローラーを主張して、オリジナリティの塊かのように振舞ったりしている。その感じが恥ずかしい。
そして、そんな彼らを知らずにとは言え恰好いいと思い、コピーした私も思い返すと恥ずかしい。
ダサい、キツい...カラオケで歌ったりできないバンド
高校生になるとディープパープルとか、当時流行ったハードロック、メタルブームに流れた私とバンドはハウンドドッグをコピーしなくなった。
思えばハウンド・ドッグが日本の音楽シーンの最前線にいたことは一度もなかったと思う。
才能あるフロントマンに率いられた軽音サークル出身のバンド、というとサザンオールスターズがある。
ハウンド・ドッグも成り立ちとしてはサザンと同じだけれど、フロントマンの才能の差かもしれないけれどこの両者は比較の対象にすらならなくなった。
それはやっぱり音楽への愛だったり、こだわりだったりするのかな、という気がしている。
「SPRITS」以前、メンバーチェンジをする前のハウンド・ドッグはやっぱり垢抜けないバンドではあるんだけれど、意外と今聴いて見ると恥ずかしさはなかったりする。
それは音楽が好きで始めた、というメンバー主導での曲作りだったりとかその辺の影響なんじゃないか、と思うし、あの曲っぽいな、という曲があってもある種の統一感があるからだろう。
桑田佳祐も彼以外のメンバーの音楽的な力量に満足できず、ソロ活動したりサザンの存続について考えたりしたこともあるはずだけど、それでもバンドを維持し続けたのに対し、仙台時代のメンバーをクビにしてインスト志向の職人的なギタリストを加えたりした上でさらにそのメンバーもクビにして今はひとりバンド状態、という大友康平、この2人の音楽、バンドに対するスタンスの違いが現在の立場の差になっていると思ったりする。
もしかすると青山学院大学と東北学院大学の差かもしれないけれど。
これからもハウンド・ドッグが再評価をされるということはおそらくなくて、一部の信者とも言える人達の中で消化されていくんだろう。
カラオケでうっかり歌ったりしたら一気に空気が冷える、ハウンド・ドッグはそんなバンドだった。