中国教育事情 日本に留学したい中国人高校生と現場の実態

筆者は上海市内の某高校で教師として働いているわけだけれど、思うところがいろいろあるので備忘録的な意味でも書き留めておきたい。

日本の高校へ留学することが前提の高校

筆者が働いている高校は1、2年生の2年間を上海で勉強し、3年生になったら日本の姉妹校・提携校に留学するという仕組みを提供している。

授業は日本語で行われていて、内容も日本の文科省準拠となっているので、日本の姉妹校・提携校を卒業した後は日本の高校を卒業した、という扱いになる。

1学年は約90名で、2年生ほぼ全員が日本への留学が決まった。2020年7月時点でコロナ禍は終息していないので、無事に秋から留学できるのか、というところは疑問だけど、まあそれはイレギュラーな要素ということで。

熾烈な試験、高考

「高考」は日本のセンター試験のような制度だが、二次試験がないという点が特徴で、大学に進学する際は全員がこの試験を受けることになる。

それで、自分の持ち点数に応じた大学に入学を希望する、という形になるんだけれど、それぞれの大学に難易度に応じた足切りラインがあって、それを超えた上で同じく入学志望してきた学生たちよりも多い点数を持っていないと合格できない、というものだ。

中国は日本とは比較にならないほどの学歴社会で、大卒でなければブルーカラー以外の職業につけない(中国で高学歴、と言う場合、博士を指す)。

大学に進学する人数が増えたとは言え、日本では高卒だとしても本人次第で職業選択の幅はあるが、中国の場合は大卒が最低条件、大学のレベルによっては大卒でも碌な仕事につけない、ということもある。つまり、高考で人生のかなりの部分が決まってしまう可能性が高いわけだ。

高考を回避させたい親のニーズ

中国は教育熱心、宿題がとても多い、というような話の根本にはこの高考があって、この競争になんとか勝ち残ることが子供の将来を左右する、ということから親たちの教育への熱意はどこまでも高まる、という構図だ。

そこで出てくるのがなんとか高考を回避して子供に学歴をつけさせることはできないか、という発想だ。

上海市内に多数存在しているインターナショナルスクールはこのような発想の受け皿となっていて、そもそも高考を受けずに大学は海外の大学を受験する、という形だ。

今、筆者が勤務している高校もこのうちの1つで、この高校に入学してくる生徒の親は自分の子供に中国の大学入試試験「高考」を回避させ、直接日本の大学に進学させたい、と考えているというわけだ。

学生たちは上海市内だけではなく、中国全土から集まっていて、寮生活をしながら日本語の勉強をして、日本と同じ授業を受けて将来の日本の大学受験に備えている。

生徒にはバカが多い

ここから個人的にモヤモヤする点について書きなぐっていく。

まず、生徒の多くがバカだという点について触れないわけにはいかない。

生徒の親たちは高考を子供に回避させたい、と思った一番の理由は「勉強ができない」からなのだ。 正攻法で高考を受けたとしても良い点を取れる可能性が低い。そうすると負けが決まってしまう。じゃあ海外留学だ!ということになる。

そんな感じで集まってきた生徒だから、基本的にバカが多い。約90人の生徒の内訳で言えば10人が真面目で成績がいい、20人が普通、40人がバカ、20人がウルトラバカ、という感じだ。

しかもこの学校に入るためにはかなり高額な学費を払わないといけないので、この学校にいるバカはただのバカではなくかなり裕福な家庭に生まれたバカとウルトラバカ、というやっかいな存在なのだ。

日本語ができないと授業についていけない

この高校は日本の姉妹校・提携校に編入する、という仕組みのため、日本の文科省準拠の授業を日本語で行っている。

そのため、日本語ができないと授業についていけなくなるのだ。

しかし、そもそも勉強ができないからこの高校に来ている生徒が多く、彼らは勤勉ではないがために勉強する習慣がなく、結果として勉強ができなくなっている。そんな奴らが日本語という語学を身につけるための勉強を真面目にやるか、というともちろんやらない

そうなると真面目で成績がいい10人だけは日本語も真面目に勉強し、しっかりと良い成績を取る反面、残りの生徒は順調に元々のポジションから1段、2段下のポジションへと序列を下げることになる。

つまり、普通がバカに、バカがウルトラバカに、ウルトラバカはキノコになるのだ。

成績でクラス分けをしている

そうなるとトップの10人とキノコが同じ授業を受けるのは難しいということになるので、成績でクラスを3つに分けている。

成績のいい方から30人を集めた1組は授業が成立するものの、2組の時点で授業の理解度はかなり厳しいレベル、3組に至っては富士サファリパークの様相で、授業がそもそも成立するレベルではなくなってしまっている。

筆者は日本で教員の経験がないので、このように成績に応じてクラス分けをしたときにどんな感じになるのか比較できないが、1つ言えることは勉強が出来る生徒は顔がいい、整っていて、富士サファリパークの皆さんはかなり危険な表情をしている、ということだ。

顔が整っていない、いわゆる不細工だ、という意味ももちろんあるけれど、その不細工さはおそらく知性の欠如に由来しているのだろう、と思わせるような、できるだけコイツらとは関わりたくない、そう思わせるような表情や言動をするのだ。

「人は見た目によらない」という言葉があるが、あれを「悪そうな格好でも実はいい人、という人もいるから人を見た目で判断してはだめ。」という解釈で誤用している人が時々いるが、つくずく「人は見た目どおりに判断すべきだけど、いい人そうに見えて悪い人もいるから気をつけましょう。つまり、ほとんど人は見た目通りですよ。」という意味だなあと実感することができる。

といっても、思春期の彼らの立場に立ってみると元々勉強ができないからこの高校に入ったのに、更に勉強ができなくて下から数えて30人に入ってしまっているわけで、プライドを維持するために勉強に興味がない、というような幼稚な行動を取っているのかもしれないが、それがさらに事態を深刻にしているということには本人達は気づいていない。バカだから

教師側のレベルもまずまず酷い

教育をビジネスとして捉えた場合、特に外国語教育なら教師がネイティブスピーカー、というのは絶対の条件になるだろう。

そしてこの学校も教師として日本人を各科目に1人か2人ずつ、合計で8名くらい雇っている。しかし、問題はその質だ。

一応、理系科目については教員免許を持っている人を採用しているというが、日本という社会では生きていけないだろうな、というような社会性を欠いた人が多いのだ。

そもそも、中国では教員の給料はそれほど高くない(むしろ安い、しかし尊敬される)ので、教員として実績があって、日本に住んでいる人が上海で働きたい、というようなことはあまりないだろう。そうなるとかなり微妙な人材が来ている、と考えるのが普通だ。

授業の中に日本の生活習慣などを教えるという科目がある。その科目を担当してる先生は何年も勤務している、いわばベテランの先生だった。

勤務し始めの頃にその先生の授業を見学したところ、日本の若者の文化、として「ガラケーで絵文字を使ってメールを送るのにチャレンジする外国人」というおそらく2003年くらいの動画を見せながら、あたかも最新の情報のように授業をしていた。

もちろん、生徒達もそれから20年近く経過した2019年にそんなわけがないということを承知の上で黙ってその動画を見ている、という有様だった。

また、小論文という授業があるが、その授業は40分✕2コマで行われている。

そこで何をやっているかというと、新聞記事のコピーを配り、まずそれを使って最初の1コマで朗読、読解を行う。そして2コマ目でそれを原稿用紙に丸々書き写させる。これで終わり。

作文、小論文の類は書かせたら採点が大変だが、書き写させているだけなので特に採点もしない。ただ時間を消化させるだけ。

担当教員の意見によると「模写すると文章がうまくなる」ということだが、こんなことを真顔で言うとは自分が楽したいだけか、本物のバカか、どちらかだろうと思っていた。

数年前に流行った、朝日新聞の「天声人語」を書き写すと国語力があがる、というのを実践させている、と言うつもりのようだが、あれは5段落ある文章を要約させたり、それぞれの段落に何がかいてあるか、結論はなんなのか、というようなことを考えさせるという点が重要なのであって、外国人にそのまま書き写させて、その後なんのフォローもしない、というものを果たして指導と呼べるのか、というところには担当教員はなにも疑問を持っていないようだった。

レベルの低い教員が何年も放置されたまま

このような授業を平気で何年もやっている教員自身にもちろん問題があるが、最も問題なのはこのような授業が行われているという事実が何年も放置されているということだ。

要するに、学校側には授業の質をコントロールするつもりがない、ということだ。一応、2019年には教員同士でお互いの授業を見学し、気づいた点をフィードバックする、という試みが行われていたけれど、参加は任意だったので特に強制力が働いてはいなかった。

筆者は新学期が始まってから1ヶ月程度が経過した段階で前任者から2科目を引き継いだ形だったが、「なにを、どんな風に、どうやって、どこまで進めるのか、授業の目標」のようなことは一切聞かされず、好きにやっていいという指示になっていない指示を受け、トレーニングなどもまったくないまま3日目には教壇に立つことになった。

さらに前任者が作った授業様のパワーポイントのファイルをもらったところ、白地にテキストだけがびっしりと並ぶ、という手抜き以外のなにものでもない資料で、生徒に理解してもらおうという意図を微塵も感じないものだったので、1から作り直して授業を行うことになった。

要するに、授業の質は教員のさじ加減で自由に決めることができて、誰も管理していないのだ。

親達は中国人だから授業が適切な内容なのかどうかわかる由もないし、子供達にしても比較の対象がないのでこんなもんだ、と言われたらそうなんだろうと思うしかない。

しかし、日本人の目からみたら大金を払って子供の将来を託すことができるような教育機関ではないことはひと目でわかる

日本語のできない中国人の先生が日本語を教える

外国語の教授方法には外国語で外国語を教える直接法というのがあって、この高校でも直接法を使って指導をするのだけれど、日本人の教員の数が少ないため、足りない人員は中国人の教師が日本語を指導している。

しかし、この中国人教員が日本語が下手というなんとも笑えない状況になっている。特に中国人の教員が1年生を担当しているので、基礎をしっかり理解させなくてはならないのにそこまで日本語をちゃんと教える能力がないため、適当な理解のまま2年生になり、日本語で行う授業を理解するレベルになっていないので授業についていけず、サファリパーク化が進行する、という悪循環に陥っている生徒が多い。

売り手市場で顧客が3年で入れ替わるので、テキトーな学校運営でも大丈夫

こんな学校に誰が入るのか、というのがここまで読んでくれた人の感想だと思うが、前述したように考高を回避したいという親のニーズは根強く、構図としては完全に売り手市場、適当な学校運営でもそれらしい顔をしておけば生徒は集まるようだ。

それに親たちが顧客なのは卒業するまでの3年間なので、一般の商売のように顧客を長年もつなぎとめる努力はそれほど必要ではない、という点も見逃せない。

生徒をちゃんと指導するためには優秀な教員を集めればいい話で、そのためには相場よりも少なくとも多い給料を払い、中国人だろうが日本人だろうがちゃんとした人材を集め、学校側も教員と指導レベルについて基準を設けるなり、指導目標を設定すれば済む話だが、どちらもそんな風に向上させるつもりはないようだ。

この学校の理事長は中国人なので、中国人が中国人から大金をせしめて、日本の偏差値が低い姉妹校・提携校に入学前よりもっと勉強ができなくなった生徒を編入させ、少子化が深刻な日本で少しでも多くの生徒を集めたい高校がそのバカな生徒達を名前を聞いたこともない大学に送り出す、という構図になっている。

下手な良心を持ち出さず、ビジネスとしてみた場合はなるほどな、というところも多いこの学校だが、数少ない優秀で真面目な生徒と接しているとごめんね、こんな学校で、という気持ちになるし、サファリパークの住人と接しているとやってられるか、という気持ちになってしまう。

筆者は教育に関わる仕事は初めてなので、標準がどこにあるのかはわからないけれど、子を持つ親として、自分の子供はこんな学校には絶対に通わせたくない、と思ったということは、まあ底辺といっていいのではないか。

というわけで筆者は9月からの新学期にむけてはこの学校とは契約を更新しないつもりだ。大金を払う中国人の親たちにはこれでは申し訳ないし、そんな環境でバカの純度が高くなった生徒を受け入れる日本の高校にも申し訳ないと感じてしまうのだ。

引き続き教育に関わる仕事をするつもりなので、この数ヶ月で得た教訓を活かしていきたい。