心が疲れたときにはKISSのことを考える

伝説の、というフレーズには注意が必要だ。

例えば、バービーボーイズだ。

80年代、バンドブームより少し前にデビューしたバンド、バービーボーイズは1992年に解散、2020年になり再結成、活動を再開した。

そんな彼らを『80年代の伝説のバンド』と形容した記事を読んだ。

しかし、はっきり言ってバービーボーイズに伝説なんかなかったし、これからもないだろう。

メンバーの対談形式の記事だったが、その中ではメンバー自身が『伝説扱いはやめてくれって気持ちがあった』と語っている。

面の皮の厚さに関しては伝説といえるレベルなのかもしれない。

年をとって、再結成するバンド

若いころに大人気だったバンドが年ととってから再結成する、ということは珍しいことではない。

私が小学生のとき、沢田研二が在籍していたザ・タイガースが再結成した。

オリジナルのザ・タイガースのことはしらなかったけれど、TOKIO』の沢田研二は知っていたので、ああ、昔はグループサウンズっていうのをやっていたんだな、と思った。

なんならちょっと人気があった、程度のバンドでもそんな風に再結成する、ということもある。バービーボーイズみたいに。

気持ちはよくわかる。

若い頃はそれぞれが尖っていて、ちょっとしたことがきっかけでうまく行かなかったバンドが、何十年かの不遇の時代を経て、あの頃は良かった、と思えるようになる。

そして、またやってみるか、ということでメンバーがまた集まり、かつてのヒット曲を演奏する。そしてかつてのファンたちがそれを消費する、という構図だ。

登場人物、全員がノスタルジーというキーワードの元、納得ずくで経済が回るという幸せな構造といってもいい。

それでもなお、伝説の、というフレーズが出たらそれは嘘だと思って間違いない

それは単なるノスタルジーでしかなくなった、絞りカスをなんとか商品に仕立て上げようとする大人の都合から生まれたただの宣伝文句だからだ。

だって、本物の伝説は常に現在進行形だからだ。

ロックよりもキープオンの方に本質がある

キープオンロックンロール、という言葉を聞いたことがあるだろうか。

この言葉は一見ロック、の部分が主役に見えるが、実はキープオンのほうが主役なのだ、ということをみうらじゅんも看破している。

ローリング・ストーンズは紛れもない伝説だけど、それはキープオンしたからだ。

ロックの部分を担っていたブライアン・ジョーンズはロックな死に方をしたけれど、何十年たってもギターをうまく弾こうという努力は多分していないキースは同じことをキープオンしたし、ミックも同じだ。

すっかりおじいちゃんになった彼らは未だに『サディスファクション』を律儀にステージで披露する。

多分、生活や人生に満足しているけれど。それがキープオンだ。

そこでKISSだ。

2020年、最後のワールドツアー中のKISS

2020年時点で何度目かのフェアウェルツアーを行っているKISSだが、彼らは間違いなく伝説の存在だ。

もちろん、キープオンしたからだ。

KISS、というバンドが本当の意味で音楽的に評価されたことは今も昔もないのではないだろうか。

筆者がギターを始めた1980年代半ば、KISSは低迷期だった。

当時ノーメイクでなんちゃってLAメタルのようなサウンドで『CRAZY NIGHT』などをスマッシュヒットさせていたKISSではあるが、本来の彼らはシンプルなロックを演奏するロックバンドだった。

ただ、LAメタルがブームだったから、そんな感じのサウンドにしただけで、音楽的な信念によるものではない。


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そんなわけで当時のKISSを聞いて大ファンになりました!という人はいないだろう。

でも、KISSはとにかくキープオンしたのだ。

そもそも、顔を真っ白に塗った上でよくわからないメイクをして、ゴツいコスチュームに身を包んで火を吹いたりしながら演奏する、という人たちに音楽性を要求するほうが間違っている

KISSは最初からそういうバンドなのだから。

LAメタルブームに乗っただけではない。

1980年代前半にディスコブームが起きれば臆面もなく『I was made for loving you』という曲を作ってなんとなくヒットさせたり、バンドの人気が低迷すればメイクを落とす、というバンドのアイデンティティさえ自己否定して一時的な話題を稼ぎ、ほとぼりが冷めたころにまたメイクをして昔クビにしたメンバーを呼び戻して何度も解散、再結成する、ということもやってのけてきた。


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70年代初めにデビューしたバンドで、2020年にスタジアムを万人にしてワールド・ツアーができるバンドがいったいいくつあるのだろう。

KISSはローリング・ストーンズに負けず劣らない伝説なのだ。

KISSは音楽的にはシンプルなロックバンドで、テクニカルという意味ではうまいミュージシャンではない。

多分、格好いいギターの弾き方やアクションの方を重点的に練習してきたはずだ。

昔から売れたロックバンドには酒、ドラッグなどの問題がつきまとい、それがきっかけでバンドがうまくいかなくなる、ということはありがちな話で、KISSもそんなピンチを経験している。

しかし、KISSにはジーン・シモンズがいた。

ロック界最高のビジネスマンがベースを弾いているバンド、KISS

KISSは4人組のバンドだが、実は正式メンバーはベースのジーン・シモンズとギターとボーカルを務めるポール・スタンレーの2人だけで、残りの2人は契約メンバーだ。

正式メンバーの2人はプロ中のプロ、というべき存在で、多分アルコールやドラッグの問題も起こしていないし、70歳を超えた今もマッチョでスリムな体型を維持している。

バンドの頭脳でもあるジーン・シモンズはKISSをビジネスとして成立させる、という角度から運営しているのだろう。だから音楽性は2の次、ということになる。

ジーン・シモンズのビジネスマンとしての優秀さを語る場合、マーチャンダイジング戦略に触れるべきだろう。

マーチャンダイジング戦略といえば、『スター・ウォーズ』を思い出す。

スター・ウォーズジョージ・ルーカスが監督した言わずとしれた映画だが、商品化の権利、著作権などをルーカスの会社が所有していたため、グッズ収入などがほぼ全額ルーカスフィルムに流れ込み、その後の映画製作の費用をキャラクターグッズなどを中心としたマーチャンダイジングの充実によって捻出する、という体制を作った。

同様にKISSもマーチャンダイジング戦略をとてつもなく上手くやってきた

メンバーのフィギュアなど、無数に存在している。

アベンジャーズで知られるマーベルからもKISSを主役にしたコミックが出版されている。

コミックの中身はこんな感じ。

[caption id="attachment_941" align="alignnone" width="300"] スーパーヒーロー・KISS[/caption]

コラボ、という意味でKISSほど身軽、尻軽な存在といえばハローキティがあるが、もちろんコラボグッズが大量にある

KISSはももクロとだって、嬉しそうにコラボする。これがロックだ


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PVのアニメ部分は結構良くできている。


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最近ではYOSHIKIとコラボしての紅白歌合戦出場なども話題となったKISSだが、ロックバンドというフォーマットのビッグビジネスをキープオンしてきたから、もはや何をやっても誰にも文句を言わせない、という境地に辿り着いた。

何事もやり続けるということは大変で、とにかく猛烈なエネルギーが必要になるわけだが、めげそうになったときにはいつもKISSのことを思い出すことにしている。

奴らは70歳を超えてもショーの最後には『I wanna Rock'n roll all night, I'm boring everyday!』って歌っているんだから。


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『四月は君の嘘』を読んだらアラフィフの涙腺が緩んだ話

四月は君の嘘新川直司のマンガで、傑作だった。

新川直司作品として初めて読んだのは現在月刊マガジンで連載中の女子サッカーを題材にしたマンガ、さよなら私のクラマーだった。

恥ずかしいマンガについて考えてみる

サッカーを題材にしたマンガといえばキャプテン翼が金字塔としてあるわけだけれど、まあサッカーを啓蒙した、というところに功績はあってもサッカーそのものについては言及する余地があまりないマンガだ。

言ってみればリングにかけろをボクシングの視点から見ても意味がなかったり、キン肉マンをプロレスから論じたりするのと同じだ。

キャプテン翼以降、サッカーは少年マンガの題材として様々な作品で消化されてきているけれど、1990年代にヒットした『シュート!』も一見リアルなサッカーマンガに見えるけれど、結局のところは必殺技マンガで、「トリプルカウンターアタック」とか「ヒールリフト」、「ファントムドリブル」とか真顔で言ってしまう、恥ずかしいマンガだった。

これは必殺技マンガが恥ずかしい、と言っているわけではない。 リンかけは今みてもかなり面白く読めるし、キン肉マンも同様に面白く読める。それはノスタルジーのせいもあるにはあるけれど、恥ずかしくはならない。

考えてみるとこれは作者が確信犯で、というか開き直って書いているか、それとも真面目に書いているか、の差ではないか、と個人的に思っている。

確信犯的に、開き直って書いている例としてスラムダンク』のフンフンフンディフェンスがある。 明かに作者は照れながら書いているだろう。こんなわけないと。でもマンガだからいいんだと。

[caption id="attachment_921" align="alignnone" width="300"] フンフンフン![/caption]

必殺技が決まった名シーンにならないように。恥ずかしくならないように

だからこそ、最後に桜木花道が決めたのは何度も練習したジャンプシュートという、超地味なシュートだった。

シュート!の作者、大島司はサッカーのことをあまり知らず、編集者がかなりストーリーに口出ししていたというような話をどこかで見たことがある。 [caption id="attachment_930" align="alignnone" width="300"] シュート!の事実上の原作者といわれるキバヤシ氏[/caption]

編集者が考えた必殺技をサッカーをしらない大島司が真に受けてマンガにしている、というような感じの恥ずかしさだ。要するに、考証が甘いのだ。

[caption id="attachment_922" align="alignnone" width="259"] ファントムドリブル[/caption]

世の中にある考証の甘いマンガは人の気持ちを恥ずかしくさせる。いつか考証の甘いマンガについて書いてみたい。

話が大きく脱線したけれど、要するにさよなら私のクラマーは考証がとてもしっかりした、きちんとしたサッカーマンガだということを言いたかった

サッカー界で使われる戦術やチームの異名(ロッソ・ネロ、とかね)がたくさん出てきたりするところはちょっとアレだけど、本人がサッカー好きらしく、ちゃんと色々と調べて書いているということがよくわかる。

それをページから感じることができる。

もちろん、考証がしっかりしているから面白い、というわけではなくて、サッカーマンガでいえばまず考証ありきで始まっている『フットボールネーション』なんかはリアルな考証部分とマンガ、物語としての面白さの関係が完全に逆転してしまい、言ったら学研の〇〇入門、のようなマンガになってしまった。

[caption id="attachment_924" align="alignnone" width="300"] リアルをはき違えたマンガ[/caption]

その点、さよなら私のクラマーはしっかりした考証、確かな作劇がかみ合っているからこその面白さ、ということなんだろう。

あまりにも面白いので、新川直司の他の作品を読んでみる

四月は君の嘘はアニメになったり、実写映画化されたりした作品だったようだけれど、完全にノーマークの作品だった。

アラウンド50歳にはちょっとハードル高めか、と思ったけれど、手に取って読みだしたら最終巻まで一気読み、おじさんの胸がキュンキュン鳴る名作だった。

あるトラウマがきっかけで自分の音が聞こえなくなった元天才ピアノ少年と破天荒な美少女バイオリニストが出会って始まる青春の物語、というのが簡単なストーリーなんだけど、クラシック音楽に特に明るい訳ではないという作者がプロの演奏家、作曲家などの取材協力の元、確かな考証をベースに書いた傑作だった。

ストーリーが中ごろまで進んだあたりで結末はおよそネタバレしていて、そのベタ中のベタともいえるオチに向かってネタバレ状態のまま面白く最後まで読ませられるか、という難題に取り組んでいるこの作品はネタバレどころか予想通りなのに感動を誘い、最後まで読んだ後にオチを知った上で改めて最初から読むと新しい感動がある、という一粒で二度美味しいという点も素晴らしい。

考証しっかり系のマンガで似た手触りといえば・・・

このマンガとよく似た感じのマンガが2作ある。

一つは羽海野チカ3月のライオンで、もうひとつは末次由紀ちはやふるだ。 両方とも将棋、競技かるたというマニアックといって差しつかえのない題材を扱うマンガだけれど、どちらもプロの監修を受けたり、関係団体の協力を得た上での取材などを行い、しっかりとした厚みのある作品になっている点が近い感触の理由の一つだと言える。

3月のライオンちはやふるに関して言えばもっと共通項があって、主人公が天才だったりそれに近い才能がある、という設定だったり、主人公が目指すべき業界のラスボス、というポジションにはちょっとハンディキャップがある人物がいる、という点などが挙げられる。

4月は君の嘘と3月のライオンについては、ピアノ演奏、将棋の試合の勝ち負けが作品の中心に来ない、というところに共通点がある。要するにバトルマンガではないわけだが、そこがとてもいい。

ピアノコンクールの優劣の付け方や音色、演奏の素晴らしさをマンガで説明するのはちょっと無理があるし、将棋のルールは複雑で、門外漢にはわかりにくく、やはりマンガにした場合に勝ち負けを話の中心に持ってくるのは辛い。

そこで言い方は悪いけれどピアノや将棋、という舞台装置を借りて人間ドラマに焦点をあてる、という形でマンガを面白くしている。

4月は君の嘘は全11巻の今のご時世ではコンパクトな作品だけど、真ん中よりちょっと前の5巻あたりで主人公はトラウマから解放される。

そこでピアノのライバルたちが登場するのだけれど、ここからバトルマンガにいったら傑作にはならなかったんじゃないだろうか

これは掲載誌が月刊マガジンだったこともいい方にいったかもしれない。

通常、週刊連載だと1話19ページ位で、その度に次の話に繋がる引きを作らないといけないんだろうけど、月刊マガジンだと1話50ペーなので、1話の中である程度まとまった展開を含んだ話を書くことが出来そうだ。

しかし、同じ月刊マガジン連載だったバンドを題材にしたマンガBECKが恐らく編集サイドの引き延ばしで後半はどうでもいいエピソードでお茶を濁しまくったことを考えると連載当時に多分人気があったはずのこの作品を無駄に引き延ばしさせなかった編集者も優秀だったんじゃないか、と思ったりもする。

[caption id="attachment_925" align="alignnone" width="300"] 後半はこんな絵に観客が『かっけぇ…』とかいってばかりのBECK[/caption]

とまあ、作者本人の力量があってこその話だけど、様々な事情にも恐らく恵まれて傑作となった四月は君の嘘に感動して涙腺が緩んだおじさんがちょっとなんか書き留めておきたい、ということで書いた乱文がこれ。

連載中の『さよなら私のクラマー』もだけど、これからも新川直司さんには面白いマンガをいっぱい書いてもらって、おじさんの胸をキュンキュンさせてもらいたい